東出昌大と聞くとムキになる人が多いように感じる。大体の人は彼とは利害関係はなく、メディアからイメージを得ているはずだけなのに、その名前を聞くといろんなコメントが噴出してくるのは結構不思議な現象だ。
私自身は彼に対しては、好きとか嫌いとかのような感情は特にない。ただ、俳優としての作品が世に出たら、都合がつけば見に行こうとは思う。それというのもスクリーンで見る彼からは目が離せなくなるからだ。「俳優としての東出氏」に興味がある、というのが正確なところだろう。
俳優・東出昌大は猟銃を持ち、山へ向かった。
水道もガスもない状態での暮らし。
狩猟で獲た鹿やイノシシを食べ、
地元の人々と触れ合う日々は、彼に何をもたらしたのか――。
なぜ俳優である東出昌大が狩猟をしているのか。
彼が狩猟をして生命を頂き、生きながらえる生命とは何なのか――。
本作は、根底にある気持ちの混沌、矛盾、葛藤を抱える東出昌大という一人の人間と、MOROHAが発する渾身の言葉とすさまじい熱量が重なり合い、東出自身が問い続けている日々を生々しくスクリーンに映し出していく。(映画『WILL』公式サイトより)
映画の中で彼は、狩猟については実は幼少期からなじみがあったと語っている。小さい頃に父親に連れられて猟についていったのだとか。子どもの頃の強烈な体験が下敷きになって、成人してからトレースすることはよくあるけど、彼の場合それが人生の窮地から身を救うことになった。
世間から嫌というほど叩かれた、あの騒動時の謝罪会見の映像も織り込まれている。顔面蒼白の謝罪映像を、山の中で生気を取り戻した彼の表情と比べてみると明らかに顔がこわばっていて声も震えている。あの頃は普通じゃいられなかったのだろう。
当の本人からしたら恐ろしさに震えながら行った謝罪シーンを視聴者たちは流し見て好き放題発言し、そして忘れていく。そんな状況から離れたくて彼は山に入った。それまでは縁のなかった山の人々と交流し身を置き、狩猟に身をやつす。彼の狩猟の腕前はとても素晴らしいと周りの狩猟仲間も認めているけど、それでも彼らは「東出くんは俳優だから、いい演技をしてほしい」と言う。どんなに上手く猟をしても周りから見た彼はあくまで俳優であって、そして彼自身も自分が俳優であると認識できたのかもしれない。
「東京にはもう住めないです」とまで言わしめた騒動、そして芸能界からできるだけ遠くに身を置く生活を選んだにも関わらず、彼が還っていく場所は俳優であった。自分自身が還っていく場所をきちんと見つけられる人は実は少ない。でもその幸運な人の中に東出さんが入れたことはとてもよかったのではないか。狩猟を通じて見つけた己の立ち位置はこの先もしかしたら変化するのかもしれないが、それでもそこに立てたこと自体が幸せなことなのだ。