映画『PERFECT DAYS』 / 二度とない完全な日に

生きる上で最も大切にしていることは何か。年齢や環境、人生経験によっても全く異なるその人のモットーは他人から見たら奇異に見えることもあるかもしれないが、気がつくと自分のルーティーンとして絶対に譲れないものになっていた。そうなるように仕向けたわけでもなかったのに、変えたくない確固たる何ものかが自分の中にどすんと存在している。

東京・渋谷でトイレ清掃員として働く平山(役所広司)は、静かに淡々とした日々を生きていた。
同じ時間に目覚め、同じように支度をし、同じように働いた。
その毎日は同じことの繰り返しに見えるかもしれないが、同じ日は1日としてなく、男は毎日を新しい日として生きていた。その生き方は美しくすらあった。
男は木々を愛していた。木々がつくる木漏れ日に目を細めた。
そんな男の日々に思いがけない出来事がおきる。それが男の過去を小さく揺らした。(公式サイトより)

考えてみればほんの4〜50年前までは私たちだって平山のような生活様式にずっと近かったはずだ。ラジカセでカセットテープをかけ、畳の部屋に寝転び、文庫本を買い漁って読書をする。一般家庭にはほぼあったTVが平山の部屋にはないが、違いといえばそのくらいである。

自分にはこれが必要だと感じたものだけを周りに置き、そして必要な出来事だけをこなしていく。質素に生き、人を大事にし自然を愛する。旧き善き日本人の美徳のままで生きていきたくても、時代がそうはさせてくれない。歳月を経て変わりゆく世の中に順応していかなければ生きてはいけない。

平山が選んだのは、東京の公衆トイレ清掃員という職業である。普通であれば誰もが嫌がるトイレ掃除、それも不特定多数が様々な道徳観のもとに使用する公衆トイレを掃除するという、奉仕の心満載で生きているか、あるいは日々の糧のためと割り切らなければできない仕事に質素な平山が従事しているのを見ると、不思議とそれはそれで至極合っている。しかも平山の仕事ぶりが全て完璧なのだ。どうしてそこまで完璧にする必要があるのか、時給いくらか知らないが、彼の仕事ぶりは明らかにその金額以上に完璧にこなしているとしか思えない。街中でリアルに見かけるトイレ清掃員の働きぶりよりも、平山のそれはずっとずっと整然と、細部まできめ細かいのだ。

ライフスタイルに寸分の狂いもないようにすることによって、そして自分の務めを完璧にこなすことで、平山はこの世の雑音や煩わしさを振り払おうとでも思っているのだろうか。逃れたくても逃れることができないしがらみならば、せめて必要最小限にささやかに生きて、周囲を愛でていくことで人生の苦しみを薄められたら。嫌なこと、忘れたいことがあると憂さ晴らしをしたくなる、余計なもので周りを固めたくなる私たちがやりがちな間違いを正してくれるような平山の内省的な生き方である。

見上げた空の木洩れ陽の美しさを心に留めて、二度と来ない今日という日を流されずに生きる。容赦なく起きてくる浮世の事情に負けずに生きるには確固たる自分軸が必要で、それでも思い通りにならない日もある。それはそれで今日を生ききったと思えれば、完全な一日になり得るのだ。

映画『PERFECT DAYS』公式サイトはこちら。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

記事がお気に入りいだだけましたらシェアお願い致します
  • URLをコピーしました!
目次