駅に着いた時点で約束の時間まではまだ2時間近くあった。今行っても中には入れないからどこかで待つことになる。さっき昼ご飯を食べたばかりで、コーヒーまで飲んじゃったからむしろお腹はたぷたぷで、カフェに入る気分じゃない。さてどうやって時間を潰そうかと辺りを見回すと、駅前に立つ大きなショッピングモールの屋上にある赤い観覧車が目についた。
この街はいつも車でしか通らない。電車で来たとしても降りることもそんなにはない。そこに観覧車があることは知っていたけど横目で見ながら通過するだけで、意識することもなかった。しかしこうして改めて電車で訪れると、今まで気にも留めなかった街のあれこれが見えてくる。しかも観覧車なんて数年、いや十年に1回乗るか乗らないかじゃないだろうか。
(時間あるし、観覧車、乗ってみようかな)
季節に似つかわしくない暑い日差しだった。天気がよかったのも後押しして、ふとそんな遊び心が頭をもたげた。遊園地だったら観覧車なんて平気で1回乗るのに1,000円くらい取る。今なんて物価高だし1,500円くらいするのかしら。そんなに高かったらやめようと思いながら料金を調べたら、なんと400円だという。安い。この世知辛いご時世に、めちゃ安いじゃないか。そんな良心的な価格だということがわかったので乗ることにする。
観覧車乗り場はショッピングモールの5階にあった。ショッピングモールは中央に吹き抜けがあり、エスカレーターが吹き抜けに沿って配置されていたから、エスカレーターに乗ると館内が上から下まで見回せるようになっていた。私はぼんやりとショッピングモールの中を眺めながら5階まで登っていった。
平日の午後だというのに、ショッピングモールはなかなかの客入りだった。2階のカフェにはあちこちに人がいたし、地下にあるフードコートにもおしゃべりの輪がそこここに広がっていた。客層はといえば、そのほとんどが学生っぽい若者か、マダムのような女性たちか、老人たちだった。平日の午後だしそのあたりがメインの客層なはずだけど、仕事を昼で切り上げて郊外のニュータウンまではるばるやってきた自分は、他人の目には一体何に見えているのだろうか。いつもウイークエンダーを抱えてせかせかと歩いてるから、何やってもマダムっぽくなんて見えないもんな。たぶんこのハイソな街に微妙に似つかわしくはない感じなのだろうけど、まあ、いい。だからおひとり様で観覧車に乗ろうだなんて思うのだろうし。
心のどこかで「いい歳をした中年女性が1人で観覧車に乗るなんて」という想いがあり、それに対する言い訳めいたことばかり考えているうちに5階に着いた。人もいないし今のうちにさっさと乗っちゃおうと乗り場に近づいたとき、きゃーきゃーという声が聞こえてきた。嫌な予感がする。
「早く早く! 乗っちゃおう!」
「急いで!」
「えー、でもなんか怖いかも」
「みんな乗るよ? 乗らないの?」
そこにやってきたのは小学生の女子たちだった。次から次へとエスカレーターを走って上がってきたのだろう。何をそんなに急いでいるのか、息せききりながらざっと数えて15人くらいの高学年女子が、分かれて観覧車の乗車口になだれ込んでいく。こんな時間に学校はどうしたんだろうと思っていると、乗車口のところに「大観覧車お子様無料デー」と書かれている。しかも今日まで。これか。学校が終わってみんなで走ってきた訳は。
しかし困ったなと思っていた。小学校高学年女子ほど残酷なものは世の中にはいないと思っていて、子どもゆえの無防備さと、大人のようにうまく世渡りできないがために物をずけずけというのがこの年頃だ。それでもって大人になりたい願望というか、ませているというか、そんなアンバランスだらけな生き物こそが私がイメージしている小学校高学年女子である。もし私が彼女たちよりも先に観覧車に乗ったら「あのおばさん何やってんの」と言うに決まっているため、彼女たちが一通り観覧車に乗り込むのを待ってから乗ることにした。
「ねえ誰と乗る?」「〜〜ちゃん一緒に乗ろう」的なやりとりが交わされていた。誰だっていいから早く乗れよ。あなたたちが乗るのを待ってるんだから。大騒ぎしながらやっと彼女たちは誰と誰が一緒のゴンドラに乗るかを決めて進んでいった。私は少し離れた場所でそれを眺めていた。彼女たちの後に急いで乗り込むとすぐ隣のゴンドラになり、中を覗かれていろいろ言われるのは嫌だったから、ゴンドラがいくつか行きすぎるのを待ち、間隔を取って乗車口に進んだ。
ゴンドラがゆっくりと上昇していくにつれて、街の景色が浮かんできた。ここはマンションが立ち並び、山を切り開いて住宅を作ったベッドタウンでニューファミリー層に人気の小洒落たイメージの街で、駅周辺にはいくつかのショッピングモールやビルがあった。その他に見えてくるものといえば、例えばホームセンターやファミリーレストラン、コンビニといった暮らしに必要な店、言い換えればちょっと郊外に行けば全国どこにでもあるような建物が多かった。作り上げた街並みの中に申し訳程度に所々見え隠れする緑は、あくまでも人工的な植栽ということが遠目からでもわかる。人が作り上げた箱庭のような街の真ん中に通っている鉄道駅が眼下にどんどん小さくなっていった。
普通に働いていれば絶対に平日の午後になんて来ないであろうこの街に来た理由は、健康診断で要精密検査と言われたからだ。去年も、おととしも全く問題がなく、今だって何も自覚症状がないのに。毎年7月と12月の2回に身体の部位を分けて健診をしているが、もしかしたら転職するかもしれず、そうなるときちんとした健診結果がそろっていた方がいいんじゃないかと思い、いつも12月に受けるべき健診を少々早めて9月に受けた。その部位が引っかかったのだった。
4年前に大きな手術を経験してそこから復活しているだけに、こうして身体の引っかかりを見せられると、最早なんの心配もいらずに過ごすわけにはいかない現実に直面していることを改めて感じる。若さだけでごまかせる時代は過ぎてしまった。巷によくいる、病気を経験したからといって「健康、健康」と大きな声を上げて周りの人を振り回す健康オタクが嫌いなのに、どういうわけか身内にそんなタイプが多くうんざりしていた。あんな風には絶対になりたくないけど自分の身体は自分で気をつけなければいけないから、それなりに得た知識の中で野菜や魚や食物繊維は摂らないと、などとは細々と思っていた。でも回復してしまうと人間喉元過ぎれば熱さを忘れるもので、術後は結構いい加減な生活習慣をしていたことは否めない。だからバチが当たったのだろうか。
観覧車はもうすぐ円の頂点にたどり着こうとしていた。一番高いところからの景色なのに超高層ビルなどがないせいか、上昇し始めたときの景色とそう変わらないような気がした。雲ひとつない秋の青空をぼんやりと眺めていると、わけもなく徐々に泣きたくなってきた。私、何やってるんだろう。なんでこんなところにいなきゃいけないんだろう。要精密検査だなんて、そんなの知らないし。もし今日の診断が悪かったら、さらに引っかかって大学病院を紹介しますとか生検とかいわれたらどうしよう。頭をよぎる考えは振り払いたいけど、一旦悪い方に考えるととめどもなく悪い方へ悪い方へと想像が膨らんでしまう。まだまだやり遺していることはいっぱいあるのに。
地面に向かって下りつつある景色を眺めていると、まるで自分の人生みたいに思えた。絶対に半分過ぎている気しかしないもん。少し前に降りた小学生女子たちがロビーで興奮している。あの子たちはこれから人生上昇していくしかないのだろう。そのままそこにいたら卑屈になってしまいそうなのが嫌で、ゴンドラを降りた私は彼女たちの輪から離れ、出口に向かっていった。
彼女たちの歓声を遠くに聞きながら、子どものころに家族でたくさん遊園地に行って、観覧車にもいっぱい乗ったことを思い出していた。幼児だったあの頃は訳が分からなくて、行楽地で泣いたりわがままを言ったりして親を困らせたものだけど、振り返れば本当に幸せな時間だった。誰かにわがままが言える、心置きなくはしゃぐことができるなんて、最高の贅沢なのではないかと。そして今、こうして、同じく観覧車に乗っているのに感情は大いに乱れている。
紹介されたクリニックは駅から近いのに、そこまでの道のりはとても長く感じた。清潔そのものでありとあらゆるところに配慮が行き届いたクリニックの受付に「予約しています」と告げ、待合室に入った。人気があるクリニックらしく、初診の予約をしていたにも関わらず相当な時間を待ったあとに名前が呼ばれた。
要精密検査ですと言うと、じゃあレントゲンとエコーで診ましょうねと穏やかそうな女医は言った。もう何回か受けている検査だけど毎回とんでもなく痛いのは変わらない。なんなら病気よりも検査で痛い方が嫌かもしれないけど、いやいやそれは違うと思い直した。なんのために今日ここまでやってきたのか思い出せよと言い聞かせながら、涙が出そうに痛い検査をやり過ごした。あまりにも検査が痛すぎたので、さっきまでの重苦しい感情が逆に薄らいだような気がしていた。ここまできたらなるようにしかならないし。あれこれ考えてもしょうがないと、開き直りに似た気持ちになった。
そこからさらにしばらく時間が経ってから呼ばれた。エコーを診ながら女医は言った。
「自覚症状はありますか?」
「全くないですね」
「診た感じ、特に異常はなさそうですね」
「そうですか」
「健診のときは、このあたりが問題なんじゃないかと担当のお医者さんは思われたのかもしれませんけど、今日精密検査している限りだと異常はないですね。これからも、年に1回でいいので健診してみてくださいね」
確定の診断が出て、すっかり気が抜けたような感じになった。間もなく日の入りの時間になるらしく、空はオレンジの夕焼けから薄紫色の夕闇へと向かっていた。箱庭の、きれいに整備された街の中をゆっくりと駅へ歩きながら、来年からはここに健診に来てみてもいいかもと考えていた。年に1回、400円の赤い観覧車に乗って、住宅街の景色を眺めてみてもいい。これでもかとスペクタクルな建物や、海や、ネオンに囲まれる騒がしい観覧車から見る景色よりも、こうして何の変哲もない景色を見る方が実は少ない。皮肉にも日々のちょっとした変化を見逃してはいけないのは身体も景色も同じらしく、なんだかうまくできすぎているけど、それはそれで観察するのも面白そうな気がしている。