映画『ほつれる』 / 生ける屍たちの浮遊

見るからに不遜そうな映画に出会うとちょっと嬉しくなる。そもそも明るくハッピーで全部セリフがメインテーマまで喋ってくれるような映画の方がみんなは好きだから、よくわからなさそうとか暗そうな映画は敬遠されがち。でも誰もお膳立てしてくれない作品の方が、自分で考えないといけないから見応えがあると思っていて。だから自分のアンテナに引っかかったものは観に行くようにしています。

これもそんな1本。そもそもですが門脇麦さんが出てくるというところで私としては「観る一択」。このキービジュアルの表情とかもうマジでそそられます。

綿子と夫・文則の関係は冷め切っていた。綿子は友人の紹介で知り合った木村とも頻繁に会うようになっていたが、あるとき綿子と木村の関係を揺るがす決定的な出来事が起こってしまう。平穏に見えた日常の歯車が、徐々に狂い始めるー。

冒頭の綿子と文則の短い会話だけでもひんやりとしたピリつきが伝わる。スクリーンの中では必要最低限の会話と映像しか出てこないため、最初は人物たちの関係性を把握するのに時間がかかるが、話が進むにつれて様々なものがほつれているのがわかってくる。

文則みたいに、いちいち詰問調で話されると、観ているこちらまで心が荒んでくる。この夫婦に問題があることはわかるけど、綿子はなんでこんな男と暮らしているんだろう。さっさと別れずに木村と逢っている理由ってなんなんだろう。前半の会話の中の単語をヒントに観ていって、それが明らかになるのは中盤以降かもしれない。

綿子は文則にモラハラを受けている後妻なのか? と思ったのはミスリードで、実は綿子自身も自分の身の置き所が定まってはいなかった。綿子と木村の、冒頭の幸せそうな不倫も完璧なタッグのように見えるけどそれだって全く根付いてはいない。文則は文則で、これも過去の自分自身の行動を正当化し、綿子への配慮も欠けている。

一事が万事というけれど、ひとつのことがほつれたらそれに関連することも徐々にほつれていく。文則だけが不誠実だった訳じゃない。綿子だって同じだから余計に身の振り方が決まらない。木村に対しても結局筋が通らない対応をしてしまっている。木村との逢瀬で見せた幸せそうな表情だって、まやかしなのだ。

綿子も文則も木村も、ふわふわと生きながら死んだように世間を漂っている。誰も現実と向き合わない、責任を取ろうとしない。淡々と目の前に見えることだけをなんの感慨もなく流すように語るのみであれば、それは生ける屍である。クライマックスで綿子が発した言葉がようやく生きた人間の本音として受け止められるのかもしれないけど、その言葉自体がもう叶わずにまたふわふわと浮遊していく。

綿子はこれからの人生を漂ったまま生きるのか、それとも人としてもう一度地に足をつけられるのかはわからないけど、一時の熱に舞い上がって絆された後始末にはこうも多くの犠牲と時間が必要なのかということを改めて思い知らされている。

映画『ほつれる』公式サイトはこちら。

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