特にどこかに必ず旅に出かけたりとか、浮かれて騒いで過ごすわけではないけど、大人になっても夏休みと言われる時期になるとやっぱり嬉しい。
かくいう私も絶賛12連休の最中なのだけど、あんなに早く来ないかなと待ちくたびれた夏休みもあっという間に終盤になった。休みだからこそいろんなメンテナンスもいっぱいしないといけないし、それでなくてもしたいこと、やらなきゃならないことは多い。今年はそこにライティング案件が3本くらい入ってきたので、何をしているかよくわからない休みになっている。
それでも観ておきたい映画だけは絶対押さえたい! という信念のもと、時間を合わせてシアターに通っている。その中の1本、第95回アカデミー賞主演男優賞(ポール・メスカル! Awesome!!)にノミネートされた『aftersun』のテーマもまさに「夏休み」である。
昔とは違って離婚がごく当たり前になった以上、常に血のつながった家族が全員揃ってはいない状態は全く珍しくなくなっている。子どもが父親と母親の間を行き来することもイギリスでは普通なのだろう。
いつもは元妻と暮らすソフィを預かったカラムは、このリゾートの滞在中に31歳の誕生日を迎える若い父親だ。20歳そこそこで娘を持ってその後離婚して1人で暮らし、久しぶりに会う娘の成長ぶりに戸惑うと共に、娘との時間をよいものにしようと努力する。ソフィはソフィでそんなカラムにそっけなく、子ども扱いしないでと言わんばかりに答えるかと思いきや、根底では従順だったり父のことを心配したりもする。
カラムもソフィもある種の曖昧さの中で生きている。カラムはこの先の身の処し方への不安を抱え、ソフィはソフィで大人にはまだ早すぎるのに、大人たちへの憧れを押さえきれない中途半端な自分の位置づけがわからない。自由なティーンエイジャーのカップルたちを羨ましそうに見つめるソフィにカラムは言う。「困ったこと、わからないことは、なんでも話してくれていいんだよ」と。
いいなあ、いいお父さんじゃない。「なんでも話してくれていいんだよ」なんて言えるお父さんなんて滅多にいないし、それに対して「うん」って答えるソフィもいい。そういう父娘関係がいいのだ。
遠い昔、私の父は毎週日曜日に、飼っていた金魚が入っている大きな水槽を洗うのが習慣だった。その時に流すのは決まってConnie Francis の “Vacation” の入ったカセットテープだ。古いラジカセから繰り返し流れるポップな曲を聴きながら喜ぶ幼い私の横で、鼻歌を歌いながら水をじゃぶじゃぶかけて水槽を洗っていた父の横顔が忘れられない。黄金のように甘酸っぱい昼下がりの時間だった。
父はいい人だけど厳しい一面があった。曲がったことが嫌いで、よくお説教も食らった。いいんだけどうるさいなあ。そんな気持ちが先行していて、ある時期から父のことを半分スルーするような感じで応対するようになっていた。お父さんはなぜ私のすることに1つ1つコメントするの? なぜ褒めてくれないの? いつもなんらかの注釈がつくことが嫌で、わざと父の言うことを半分流していた。
今思うに、説教も立派な父の愛だった。わからなかったのは私の方だ。伝え方は多少はまずかったかもしれないけど、それでも父は父なりに私に愛を伝えてくれていたはずだった。とてもじゃないけど口が裂けても「なんでも話してくれていいんだよ」なんて言うタイプじゃないからとわかっていても、もしも父がもう少しくだけた性格だったら私ももっと素直だったのにと、いくら考えても過ぎた日々は帰ってはこない。
愛を伝えなくては、この子をちゃんと育てなくてはと思うのは、カラムも私の父もたぶん一緒なのだ。そして娘たちは今後の自分の身に起きてくること、学業やら人間形成やらを成し遂げないといけないと思うのだろう。自分はきちんと役目を果たせたのだろうか、みんながそんなプレッシャーの中で生きている。
時が経ち、家族の形が変わったとしても、その時々に誰かが注いでくれた愛を記憶の片隅から取り出して確かめる瞬間がある。日曜日のうららかな昼下がりの、あの水槽洗いの時間は、言葉少なに確かに愛をもらった記憶なのだ。燦々と輝く太陽の季節になると、ソフィもあの11歳の夏にカラムがくれた愛が、どれほどさりげなく温かいものだったかをそっと思い起こすのだろう。
映画『aftersun』 公式サイトはこちら。
https://happinet-phantom.com/aftersun