映画『コンセント/同意』試写 / 毒牙を見抜く

ペドフィリア(小児性愛者)の存在がクローズアップされて久しい。自身に何が起こるのかの予測がつかない少年少女たちが、性的欲望の対象にする犯罪から逃れることは難しい。己の欲望を包み隠して近づく加害者の企みを見抜けないが故に被害に遭う子どもたちは、その後どのような人生を辿るのだろうか。

文学を愛する13 歳の少女ヴァネッサは、50歳の有名作家ガブリエル・マツネフと出会う。彼は自身の小児性愛嗜好を隠すことなくスキャンダラスな文学作品に仕立て上げ、既存の道徳や倫理への反逆者として時代の寵児となった著名人だった。やがて14 歳になったヴァネッサは彼と<同意>のうえで性的関係を結び、そのいびつな関係にのめり込んでゆく。それが彼女の人生に長く暗い影を落とす、忌むべきものになるとも知らず……。(映画『コンセント/同意』公式サイトより)

2020年、ヴァネッサ・スプリンゴラ氏が出版した1冊の本によって、フランス人作家ガブリエル・マツネフの権威は地に落ちた。14歳だったヴァネッサは、当時50歳だったマツネフから性的虐待を受け、その後の人生に深刻な影響を受けた。彼から受けた性被害が赤裸々に綴られた『(性的)同意』(Le Consentement ,Vanessa Springora, 2020)が出版されたことによって、本来なら犯罪として糾弾されるべき行為が長年に渡って賞賛の対象になっていたことの異常さが明るみに出る。

マツネフが利用したのは、少年少女の純粋さであった。あたかも自分はあなたの人生に必要な存在だよと思い込ませ、相手はマツネフが自分を愛してくれていると錯覚してしまう。それは現代に至るまで小児性愛者がターゲットを毒牙にかける手口と全く同じである。自分に寄り添ってくれていると安心感を与え、手なずけ、犯罪者たちは行為に及ぶ。いたいけな子どもの純粋さを利用する卑劣な犯罪を、完全に防ぐことができればと思うのだけど、純粋なだけに防げない現実がある。

ヴァネッサが性的虐待を受けていた当時、マツネフは彼が行った小児性愛の行為について、あたかもそれを賞賛するような文を書いていた。行為自体はおぞましい以外の何ものでもないのに、それがいかにも文化的に必要なことであるかのように文学を利用して正当化している。さらにたちが悪いことに、正当化させられてしまった人たちが当時の知識階級であったり、政治的に力のある人物であったりとパワーを持つ界隈であったがために、マツネフ自身が庇護され、逆に賞賛される存在となった。彼を持ち上げ「時の人」扱いをした取り巻き、関係者たち、もっと広げれば彼の本を進んで購入した人々だって、小児性愛の犯罪に間接的に手を貸した加害者である。

昔は当たり前だったことが、時代が変わると罰せられる、社会から糾弾されることに変化した例は多い。最近の日本だと、マスコミによるLGBTQへの処し方については昭和時代の「いじり」が全く通用しなくなり、むしろいじった側の人間が非難され社会的信用を失っている。他人に害を与えることによって仲間うちで楽しむ時代はとっくに終わっているのに、まだそれを認識できていない人間のなんと多いことであろうか。

己の欲を正当化して行う小児性愛は犯罪ですと連日報じられているにも関わらず、今、こうしている間にも、どこかで声を上げられない子どもたちがいる。本作を何の感情も持たずに最後まで鑑賞することはとても難しい。席を立ってそのまま帰りたくなる、嫌なシーンもあるかもしれない。しかし、今、目を逸らさずに本作を鑑賞して、好奇心や寂しさから誰かを頼ってしまうことが一生の傷になりうる恐れがあることを、しっかりと子どもたちに伝える必要がある。犯罪に真正面から向き合った作品が、告発から間を開けずに反面教師として現れたことに、本作の意義があるように思う。

2024年8月2日公開 / 試写にて
映画『コンセント/同意』公式サイトはこちら。

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